AIが“見えない権力”になる時代❷

Bonjour‼︎

前回に引き続き、AIと将来についてご紹介してみます。

(1)権力は“そこにある”のではなく、“関係の中に働く”

フーコーの最も重要な視点は、
権力は一箇所に存在する「もの」ではなく
社会の中を流れ、関係の中で作用する“力の働き”であるという考え方である。

AI時代には、その「関係」が国家だけでなく、プラットフォーム事業者、広告・データ仲介、端末メーカー、アプリ提供者、そして利用者同士の相互監視まで含む形で分散している。

どこか一箇所の意図だけで全体を説明しにくいからこそ、権力の作動点(誰が、どのデータで、何を決めるか)を複数の層で点検する必要が生じる。

これにより、人間の行動は暴力でなくとも、

・観察

・情報の管理

・ルール作りによって方向づけられる。

(2)「規律権力」―人間を“おとなしくさせる”仕組み

フーコーは近代社会を、監獄・学校・病院・軍隊などに見られる規律(discipline)による管理社会
と捉えた。

規律とは、「こう振る舞うのが普通です」「みんなはこうしています」という形で、人間の行動を静かに整える力である。

今日のSNSの“同調圧力”、AIによる“最適解の提示”は、この延長線上にある。

さらに現代の規律は、ルールの言葉だけでなく、評価指標(ランキング、スコア、到達度、推薦の重み付け)としても働く。

人は「禁止されたから」ではなく、「点数が下がるから」「表示されにくくなるから」という理由で、自発的に行動を調整していく。

このように、数値化は中立に見えやすい一方で、規律を日常に浸透させる媒介にもなり得る。

(3)「監視社会」―パノプティコン

フーコーの代表的概念に「パノプティコン(全てを見渡す監視装置)」がある。

これは、中央に監視塔があり、誰が見られているかわからない状態が人々を従順にさせるという構造である。

現代では、

・スマートフォン

・監視カメラ

・行動履歴

・AI解析
がパノプティコンの役割を担っている。

ただし現代の監視は、単一の「監視塔」に集約されるというより、端末・アプリ・決済・位置情報・映像解析などが連携する「分散型」の形をとりやすい。

加えて、AIによる映像解析や行動推定がリアルタイム化すると、「後から記録を見返す監視」から、「その場で介入や選別が起きる監視」へ質的に変化する可能性がある。

AIが“見えない権力”になる時代❶

Bonjour‼︎

最近chat GPTに、”これからの世界はどうなる”と質問したら、正確に答え過ぎた動画がバズったのはご存知でしょうか?

今では調整されて、同じ質問をしても返ってこないようですが、やはり都合の良い話の裏には疑問もあるという事ですね🤔

最新AIについて勉強してたところですが、考えさせられる内容でした!それをわかりやすく解説してる記事がありましたので、ご紹介致します!

AI、監視カメラ、SNS、ビッグデータ。
これらは、現代の生活に深く入り込みながら、
誰が、何を、どのように見ているのかが見えにくい社会をつくりつつある。

近年のAIは、単に「見ている」だけでなく、集めたデータから将来の行動や属性を推定し、表示順・おすすめ・価格・審査の条件などを通じて選択環境そのものを組み替える。

したがって問題は、監視の有無だけではなく、「推定」「分類」「優先順位づけ」がどの基準で行われ、その結果がどこで効力を持つのか、という点に移りつつある。

この「見えにくい権力」の問題を最も精緻に分析した思想家が、フランスの哲学者 ミシェル・フーコー である。

ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926–1984)はフランスの思想家・哲学者であり、20世紀後半のヨーロッパで、近代社会が人をどのように分類し、観察し、規律づけるのかを、歴史的な制度分析として解き明かした。

とりわけ1960〜80年代にかけて、監獄・病院・学校などの制度が生む「見えにくい統治」の働きを分析し、権力が暴力や命令だけでは説明できないことを示した。

フーコーは、権力は暴力や命令ではなく、情報・観察・規律を通じて人を動かすという視点を示した。
その視点は、AI・アルゴリズム・データ社会が抱える問題を理解するうえで、極めて示唆に富んでいる。

なお、フーコーの問題意識は、ナチズムを「例外的な逸脱」として切り離すのではなく、近代社会の制度と知が人を分類し、正常化し、統治する回路が極限化したものとして捉え直す方向へも向かった。

占領体験そのものを直接語ることは多くないが、戦後ヨーロッパが経験した統治と暴力の結びつきは、権力を制度の作動として分析する彼の視座と深く接続している。

人間のレベル論⑦

Bonjour‼︎

いよいよ登り詰めたクラスの紹介となります!

悟りステージ・ペガサスフィールドの特徴

やっていることが違うだけで、根本はライオンフィールドにいる人間と変わらない。

違うのは、自分の思想や気づき、自ら生み出した技術や知慧を世の中に広めたいという信念のもと、自らに課せられた天命に沿って「人や社会に与える」という生き方をしているかどうかだけの差である。

あと、ペガサスフィールドにいる人間は、日常で怒りを感じることがほとんどなくなるのだが、憎悪や嫌悪に近い感情を抱く相手に出会い中長期的にかかわらざるをえない状況に陥ったとき、自分の感情に振り回されてしまうとステージダウンしてしまう。

【物事のとらえ方】

「どうすればもっと与えられるだろうか?」

【特徴】

  • 真理の追求に余念がない
  • 自らの天命をまっとうすべく日々の生活を送っている
  • 怒りをほとんど感じない
  • 不安を感じることがほとんどない
  • 人間が生きることの意味や生を受けた意味を考える
  • 「愛」を生き方のベースにして心がけている
  • 自分がいるフィールドより下位のフィールドにいる人間のことが手に取るように分かる
  • 創造することに喜びを感じ、創造したものを人や社会に分け与えたい
  • 自分の思想やあり方が人に影響を与える
  • 行動の動機が情熱、幸福、愛
  • 世の中や人の摂理が分かる
  • 名誉に興味がなく自己顕示欲がほとんどなくなる

【ペガサスフィールドにいる人間が失敗しないための注意点】

  • とにかく感謝の気持ちを忘れないことが大切。生きてること自体が当たり前じゃないことを忘れない。
  • どれだけ賞賛されようが謙虚さを忘れてはいけない。いくら名誉に興味がなくとも人である以上、慢心をまねく出来事はかならず起こる。
  • 前述のように、憎悪や嫌悪に近い感情を抱く相手に出会った場合、自分にとってどんな意味があるのかを考えて乗り越えること。
  • 自分が創造したものを過信しすぎないことは大切。過信はみずからの成長を止め、天命をまっとうできなくなる。
  • 死ぬまでに最低2人には自分の思想、得た気づきと知慧を教え、自分の意志を引き継いでもらうこと。

悟りステージ・ペガサスフィールド考察

簡単に言うと、自らが手本になり人々を幸福や平和に導くことを天命にして、日々の生活を送っているのがこのペガサスフィールドにいる人々です。

仏教の世界では人になにかを教えることを「法施(ほっせ)」と言いまして、人になにかを物やお金を分け与える行為を「物施(ぶっせ)」と言います。

そして、この法施が徳を積む上で一番功徳がたかいと言われている行為なんです‼️

なぜなら、人々に感動を伝えられる法施であればその感動は友人や家族を伝わっていき、場合によっては世代を何代にもわたって語り継がれるからです。

しかも、話を聞いた人の人生観や価値観が変わり、またその人の口から感動を誰かに伝えることができれば、どれだけ多くの人が救われるか分かりません。

法施は、自分がいい話だなと思ったものや素晴らしいと思ったもの、あることで困っている人がいて自分はその解決策を知っているなど、自分の持っている知識や知恵を知らない人に教えることがポイントですね。

そして教えたあとは「徳ポイントゲットだぜ!」とか「私、めっちゃいいことしてるやん!」という考えでいいです👍

あと、ペガサスフィールドからお釈迦さまフィールドに上がるためには「理性の解除」が必要になるのですが、どういうことかと言うと「本能レベルでの無償の愛」をもって、人や社会に接することが必要になってきます。

頭で考えて人に優しくしたり与えたりするのではなく、分け隔てなくすべての人に対し、無意識に無償の愛を与えることができるようにならないとフィールドアップはできません。


悟りステージ・お釈迦さまフィールドの特徴

【物事のとらえ方】

「一は全、全は一。」

【特徴】

  • 人間だけじゃなく、物質化されているものはすべてつながっているという認識
  • 人類と世界平和のために人生をささげる
  • 無償の愛と無償のやさしさ
  • 恐れ、不安、恐怖がまったくない
  • 自分以外の人の幸福が力の源になる
  • 確固たる「愛」が生き方のベース
  • あらゆる生命に対しての慈愛の心がある
  • 尽くすことが人生
  • あらゆる出来事にも動じない
  • 個人的な問題がなにもない
  • 自他の区別をしない
  • 善悪の区別をしない

【お釈迦さまフィールドにいる人間が失敗しないための注意点】

そんなのない。

【お釈迦さまフィールド・シルバーランク】

  • ダライ・ラマ法皇
  • マザー・テレサ
  • ガンジー など

【お釈迦さまフィールド・ゴールドランク】

  • 仏陀
  • イエス・キリスト
  • クリシュナ など

悟りステージ・お釈迦さまフィールド考察

もうほんとにすごいです。人間の領域超えてます。

「一は全、全は一」は「個は全、全は個」という言い方にも置き換えられまして、仏教で言う「色即是空」も近い意味を持っていますが言葉の意味はさまざまな解釈があるものの、お釈迦さまフィールドの人たちの思想を簡単にたとえるならこんな感じです。

「俺もアンタもこの机もこのスマホもぜんぶぜーんぶ一緒。
俺らって元々1つなの知ってた?
その1つのものが俺らが神様って言うてるやつな。

分かる?

だから俺もアンタもこの世のものぜーんぶ神様みたいなもんやねん。
すごくない?

そやし、他人を自分のように愛そうや。
すべての物を自分のように愛そうや。
アンタは独りじゃないし俺もみんなもついてるからさ。」

人生がどん詰まりのときにこんなこと言われたら泣いてしまいますね。

もっと噛み砕いて言うなら、ラグビー用語の「One for all, all for one」の解釈でもいいです🏉

なぜこういった現象が起きるかと言うと、人や物を大事にしない毎日を送っている人は大事にしないことが「習慣」になってしまい、その習慣がその人の人格を作っているからなんですよね。

自分が発した言葉を一番ちかくで聞いてるのって自分ですし、自分がした行動を一番ちかくで体感しているのは自分です。

なので、悪習慣と呼ばれる行為ばかりしている人は、その習慣が今の自分を作り上げていることを忘れてはいけません。

逆に、いつも優しい人や気遣いができる人はそうすることが習慣になっているから、人に対して親切にできるんですよね。

優しい人ってふだんから人に優しくしてるから優しいのであって、気遣いができる人はふだんから人を気遣っているから気遣いができるというわけです。

そう考えると、ふだん気遣いができない女性が合コンなどで料理の取り分けとかグラスの交換とかをしても、日頃から気遣いをしている習慣がないからわざとらしく映ってしまい、「いつもは絶対そんなことしてないんちゃうん!?」という違和感を男性陣にあたえることになるのが、その最たる例ではないでしょうか。


以上が人間のレベル論・階層分けになります。

冒頭でも書きましたが、現在アナタのいるフィールドが低くても落ち込む必要はありません。

気づきを得ながら陽極に沿った人生を歩んでいると、ちゃんと自分のフィールドが上がっていき、幸せに満ちた人に優しくなれる生き方ができるようになるんです。

現在気づいていないステージにいらっしゃる方はさくっと気づいてるステージに上がって、今まで以上に人生謳歌していきましょう。

気づいてるステージの特徴を心で理解することができれば、今よりぐんと生きやすくなるから。